2012年5月21日月曜日


 (6) 託身(受肉)の秘義

………エト・インカルナトゥス・エスト(人の子の身体を受け、人となられました)。
通常ミサ曲の第3曲目、「クレド」(唯一の神への信仰)の中に位置する「秘義」を語る言葉である。
「アヴェ・ヴェルム・コルプス K.618」、そして、「レクイエム ニ短調 K.626」とともに、モーツァルト・ウィーン時代の3つの教会音楽として知られる「ハ短調ミサ曲 K.427」は、この「秘義」を五部合唱で歌いはじめ、やがてソプラノ独唱が歌い継ぐ。木管の対応とともに、ソプラノがコロラトゥーラのパッセージへと移行する………。

例えば、「レクイエム」を聴いていてもそうであるが、オペラなどで耳慣れている女性歌手たちは、モーツァルトの宗教曲で、一様に、ひときわ美しい声で僕をひきつけてやまない。

「受肉の秘義」が、このクレドで歌われているが、当然ながら、それは「受胎告知」の事実に繋がる。キリスト教美術に、「受胎告知」をたずねてみよう。
大天使聖ガブリエルは、ザカリヤを訪れた。妻エリザベトと子供のできない不運を嘆いていたザカリヤに、大天使はエリザベトの妊娠を伝えた。身ごもった子は、やがて洗者聖ヨハネとなる。予言にあるように、「主の道を整える」使命を帯びた先駆者となる人物である。(聖ルカによる福音書第一章11~20)

その直後、ガブリエルは処女(おとめ)マリアを訪ねる。いきなりの訪問に驚き、更に、告げられる内容の重さに、一瞬身を硬くするマリアの姿を、フラ・アンジェリコ(1387-1455)は清楚な背景の中に描いている。この「受胎告知」の主題は、「聖母子像」の主題と共に、ルネサンス美術家たちが好んで扱う主題である。一方、べネツィア派に独特の色彩豊かな美術家・ティントレット(1518-1594)は、室内に躍りこむ大天使と、驚く処女(おとめ)、そしてその背景に華やかな小天使たちの舞を描いている。(聖ルカによる福音書第一章26~38)


………めでたし、聖寵みち満てるマリア、主御身と共にまします。御身は女のうちにて祝せられ、御胎内の御子イエズスも祝せられたもう。天主の御母・聖マリア、罪びとなる我らのために、今も臨終のときも祈りたまえ。

「主の祈り」、「栄唱」とともに三つの重要な祈りの一つとされている「聖母への祈り」である。この詞は聖ガブリエルの祝詞と聖エリザベトの言葉を合わせた祈りとなっている。シューベルトの「アヴェ・マリア」も人々から愛されているが、これは「湖上の美女」という、もともと存在した詩にシューベルトが作曲したものである。天使祝詞の言葉「・・・・・・Ave Maria gratia plena(めでたし、マリア、聖寵みち満てるもの)」・・・・・・、をそのまま作曲したグノーの作品も愛されている。


上記「秘義」に盛られた主題は「受肉(託身)」と「三位一体」に他ならない。
「秘義」。フランス語でmystère、英語でmystery。カトリックのお国柄を反映するフランスでは、この語は、殆んど教義上に関して用いられることが多い。それに比べると英語では、宗教的語義を伴わない語用が増える。それでも、キリスト教の伝統で培われた国として、宗教的語用の場合、それから外れる解釈をされるケースは滅多にない。日本の場合、多くの輸入言語があり、それだけに、例えば「神秘」という語用に、今度は逆に、キリスト教的な語義が解釈されるケースが稀となる。つまり、普遍的な「謎」としての意味を人々は汲み取ってしまう。そこでカトリック教会は、この「神秘」のラテン語を「秘義」と和訳した。それでも、今日、教会関係者は秘義と神秘の両方を用いる事が多い。


そこで、使徒聖ヨハネによる福音書を、その冒頭から始まる、「秘義」を内在させた言葉を読んでみたい。

「初めにみことばあり、みことばは神とともにあり、みことばは神なりき」。

「カトリック教会のカテキズム(Catechismus Catholicae Ecclesiae)」は、みことばが人となることについて、・・・・・・・・・。
・・・・・・・・・私達が神の愛を知るため。
・・・・・・・・・私達の聖性の模範となるため。
であることを教えている。

福音史家・聖ヨハネは「みことばの永遠性」の主張に基いて記述しているが、三位一体の第二位格をロゴス(言葉)として、その位格(ペルソナ)が受肉を通して人性を受けたこと、そして、その受肉は処女(おとめ)マリアによって託身されたことが盛られている。こうした全ては、人間の理性では理解できないものであり、啓示と信仰という相対関係の中で、初めて人々が理解し得ることとされている。


  • 編集日時:2012/2/25 19:57:25
  • 回答日時:2012/2/24 18:43:23

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