2012年5月21日月曜日


 (11) 哲学専従者のための「数学史」 「論理学史」 

「Mathematical Thought」の著者、E・W・ベートは、その序論に、次のようなことを記している。

・・・・・・・・・「古代から、数学は、哲学者の注意をひきつけてきた。いかなる古典哲学も、人間精神の活動性のこの分野との関係を考えない限りは、完全なものとは見做されなかった」。

例えば、オクスフォード大学の数学科は、二つに分かれている。一つは純粋に数学だけを学ぶ学科、もう一つは哲学も併せて学ぶ学科の二つである。つまり、数学者は必ずしも哲学の勉強を必要とはしない。しかし、E・W・ベート教授の言葉のように、今日、哲学者は数学の学習を必要とする、ということが、オクスフォード大学の例でも読み取れる。

二番目の回答者さんが記されたように、ゲーデルの世界は「数学から超数学へ」の、いわば証明の世界です。「Gödel's Proof」への挑戦は、将来のこととして、まずは歴史に親しみましょう。

(1)「解析学の歴史」U・ボタチーニ著、(現代数学社出版)
副タイトルは、「オイラーからワイアストラスへ」。特に第3章「厳密性への新しい傾向」に、アーベル、コーシー、デデキントなどの優れた数学者の偉業が記述されている。興味深いのは、この章に、ベルンハルト・ボルツァーノ(Bernhardt Bolzano)の詳述があることです。「ボルツァーノ=ワイアストラスの定理」で有名な、この数学者は、哲学者としても高名であり、後世のフッサールがボルツァーノから多大の影響を受けたことを語っている。19世紀後半から20世紀にかけて飛躍的な進歩を見せた論理学は、中世を境として、この現代までの約300年を停滞のうちに放棄されていた。今日の論理学(数理論理学)への継承となるべき命題論理学への道筋は、このボルツァーノによって維持されていました。

(2)「The Development of Logic」W・Kneale&M・Kneale著、(Oxford Press出版)
哲学専従者として、「哲学史」、「数学史」とともに、「論理学史」は必修科目だと僕は思っています。日本の学生は、こうした専門的分野での歴史について、疎いばかりでなく、一般的な世界史そのものについてさえ、きちんとした学習がなされていません。
ここに紹介した「論理学史」の書籍は、恐らく翻訳は出版されていないと思います。
しかし、外国語による学習において、専門用語の世界(つまり専門図書のこと)は、学生たちにとっては読解しやすい世界だと思います。約770ページに及ぶ大冊。例えば、中世論理学では、アベラールの業績、また、大学草創期における論理学の展開。ルネサンス期の論理学では、ライプニッツ、ボルツァーノの詳述があり、しかもフレーゲ以降も、僅かな漏れもなく行き渡った論述があります。
この論理学の歴史についても、日本の学生は十分な授業を受けているとは言えないでしょう。

毎日少しづつでも読んでみてくさい。非常に興味深い書籍です。

(補足)
↓twesgiさんのお薦め「論理学史」(山下正男著・岩波全書)は、実にいい本ですね。特に中世終了時、近世から現代にかけての歴史的な欠落を見事に説明補正しています。


  • 編集日時:2012/5/9 01:58:23
  • 回答日時:2012/5/7 00:24:21

(10) ブレーズ・パスカル と ジュリアン・グリーン

ジュリアン・グリーンの数多い小説作品の中に、比較的短い中篇小説「L'Autre Sommeil(もう一つの眠り)」があります。この作品のタイトルは、パスカルの著作からとっており、また作者は、この小説のエピグラフとして、「Pensées(パンセ)No.434」の一節を引用しています。

質問で書かれている「現実、そして夢」が、パンセでは「目覚めている時、そして眠っている時」として語られています。
Blaise Pascalの著作として、多くの数学論文、物理学論文、エッセイなどがありますが、この「パンセ」は異色の哲学的著作といえるでしょう。だが、二行、三行という短文の多い、アフォリズムの集積で成り立つ「パンセ」の中で、このNo.434は、100行以上に及ぶ長い文脈で綴られています。

J・グリーンが小説のエピグラフとして用いた、パスカルの文章は、次のものです。

・・・・・・・・・我々が目覚めていると思っている人生の他の半分も、最初の眠りといささか異なった、もう一つの眠りではないだろうか? そして、我々が眠っていると思う時、我々は、このもう一つの眠りから目覚めているのではなかろうか?


Julien Greenは、20代から数多い作品を発表しているが、この「L'Autre Sommeil(もう一つの眠り)」は、31才のときの作品です。彼が現代フランス文学史に残した業績は、今でも光を放っています。

例えば、「Le Visionnaire(幻を追う人)」、「Minuit(真夜中)」、「Varouna(ヴァルーナ)」などの優れた小説作品のほか、自伝的エッセイ「Partir avant le jour(夜明け前の出発)」、そして、イギリス作家論「Suite Anglaise(イギリス組曲)」などがあります。


上記の、パスカルの「パンセNo434」の思索に満ちた文章、また、J・グリーンの作品も、質問者さん、あなたの興味を誘うだろうと想像します。読む人の想念に拡がりを添え、思惟の奥行きを確かめさせてくれるに違いない、と僕は思います。

  • 編集日時:2012/4/23 01:02:14
  • 回答日時:2012/4/20 03:41:28

 (9) Cogito, ergo sum

まず、ルネ・デカルト(René Descartes、1596-1650)が確立したかったものは、近世合理主義の理想の一つとされる数学の構想に他ならない。それは、あらゆる知識を厳密な学問の場に移し変えたいとする理想とも言えた。
デカルトは、疑い得る全てを、更に疑うことを己に課した。「方法的懐疑(Doute méthodique)」とよばれる、デカルト哲学における基本的態度に他ならない。デカルトはスコラ学の学究でもあった。しかし、其処に内在する不確実なものを一掃することが、彼自身の課題でもあった。だが勿論、この懐疑は「疑うために疑う」という、不決断を良しとする懐疑論者のそれとは違い、不動の真理を獲得するという目的のための懐疑であった。

「我思う、故に我在り(Je pense, donc je suis)」。ラテン語で「Cogito,ergo sum」。
このデカルト哲学の根本原理は、一つの認識によって成立する。その認識とは、「明晰判明(Clair et distinct)」が齎すものである。
「明晰判明」について、簡単に説明しよう。形式論理学では、外延が明らかな概念を「明晰」、内包が明らかな概念を「判明」とよぶ。「明晰(Clair)」は「曖昧(Obscur)」に対する概念であり、「判明(Distinct)」は「混同(Confusion)」に対する概念である。そして、この二つの概念は、次のような関係を持つ。「判明」でなくて「明晰」なものは在る、しかし、「明晰」でなくて「判明」なものは無い。

ここで、「論理学の徒」が陥りやすい過ちを避けなければなるまい。「Cogito,ergo sum」。………「故に」、の語があるため(ラテン語でergo、フランス語でdonc)、この命題は、いかにも大前提が省略された三段論法のように見えるが、そうではなく、「我思う」に即して「我在り」が直感的に把握されることを表明したものである。この考え方は、すでに教父神学の完成者・聖アウグスチヌスにおいてみられたものであり、この教父神学からスコラ哲学に導入された考え方を、デカルトは継承している。

ベルンハルト・ボルツァーノ(Bernhard Bolzano、1781-1848)は、「思惟(Pensée)」と「存在(atre)」を明示した、この有名な命題の意味を、次のように説明している。「存在する私が思惟するのではなく、思惟する私が存在する」。言い換えれば、まさしく、思惟が存在を確認せしめるということである。
因みに、ボルツァーノは、やがて反カント主義を明確にしたことにより、カントに支配された「日本哲学界の流れ」の中で馴染みの薄い人物となっている。だがヨーロッパ大陸では、このボヘミア出身の哲学者は、デカルトに劣らぬ数学者でもあることが知られている。「ボルツァーノ=ワイアシュトラウスの定理」は、数学界に遺した大きな業績のひとつである。彼は司祭職を完うし、優れた教育者としても知られている。

デカルトは、冒頭に記したように、あらゆる知識を厳密な学問の場に移し変えたいとする強い理念を持っていた。それは究極において、完全性を有する神の存在に結びついた。

今、要点を、ここでの問題に絞ってみよう。たしかに、全てに疑いを持つことから発してはいる。しかし、その懐疑を超えた拡がりが、デカルトの命題には確かなこととして存在する。
例えば、デカルトには「神の存在証明の三つの試み」が認められる。その一つである「存在論的証明」が、近世的自我主体という一種の「超越的な虚焦点」として、見えざる神との交接を意味づけている。


さて、その先に、私は現代を代表する一人の人物にたどり着く。勿論、私だけではなく、こういう人達はそれなりの数を占めているが………。「神を語らず、しかし、神の存在を思惟する」ルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタインである。


  • 編集日時:2012/4/9 17:04:22
  • 回答日時:2012/4/9 00:09:49

 (8) 聖トマス・アキナスの教説

聖トマス・アキナス教説の総体は、カトリック教会が全面的に肯定しています。
結論の理解のため、僕は「スコラ学」盛期に到るまでの推移と、その後の流れの概説を試みたいと思います。

最初の教父として、即ち、キリスト教神学の父として、聖アウグスチヌスが考えられる一般論に対して、一つの付言を記したいと思う。つまり、イエスの死後、しばらく続いたヘブライズム的キリスト教を、「世界の宗教」へと展開させた聖パウロこそが最初の学者であり、彼が書き送った数多い書簡によって、キリスト教神学の基礎を築いた人物と見做すこと、………「十字架と復活」を通して、鮮明な具体化を顕現したイエスの事跡に基き、「世界宗教」への進展を成し遂げた人物であること、に対する認知に他ならない。

聖アウグスチヌスの数多い業績は、ここでは省略しよう。何よりも「新プラトン主義」の影響の下に、キリスト教とヘレニズム文化との統一を図った事実を重視したい。だが、聖アウグスチヌスはアリストテレスへの思念をも併せて持ち続けていた。彼のこうした態度は、聖アンセルムスに少なからぬ影響を与えていた。

聖アンセルムスの「Credo ut inteligam(知るために信ずる)」について言及しよう。ここには、「信仰」と「知得」という対立概念の意図的な語用が認められる。これを「主意的立場」と「主知的立場」に置き換えることは可能だろう。「主意的立場」を鮮明にした聖アンセルムスは、しかし、別のところで「知得のために信仰を怠ることの傲慢さ」を唱えつつも、「信仰のために知得を怠ることの怠慢さ」を戒めることを忘れなかった。

ピエール・アベラール(ラテン名、ペトルス・アベラルドゥス)こそが、スコラ盛期への礎を築いた人物である。その事実は、すでにスコラ学の推移の中で認められている。また、今日の現代論理学への道程を用意した人物と言っても過言ではない。………ヨーロッパ近世以降の閉塞した論理学体系が、本来命題論理学が持つ「双対性の美しさ」を消失させてしまった事実は、例えば後世のベルンハルト・ボルツァーノの指摘などによって知ることができる。
しかし、かの頑迷で有名な教会人、「主知を嫌い、主意だけにこだわった人」クレルボーのベルナールからの激しい攻撃に晒された記録が残っている。幾世紀を経た今日、アベラールの悲劇は数多い書籍で語られている。

聖トマス・アキナスは、優れた先人(聖アウグスチヌス)に倣って、プラトンへの思念も決して疎かにはしなかった。だが、P・アベラールによってほぼ完成された「論理と弁証法」を受け継いだことも一つの事実である。形としては、聖アンセルムスと反対の立場を強調することになった。つまり、主意的立場の聖アンセルムスに対して、主知的立場の聖トマス・アキナスである。

聖アンセルムスにしても、聖トマス・アキナスにしても、二つの立場のうちの一方に強く固執したわけではない。しかし、こうした色分けが齎す弊害は常に大きな事態を招いている。例えば、創立の趣旨からして「主意的立場」の強い聖フランシスコ修道会は、長年に亘って、このスコラ学、その完成者・聖トマス・アキナス、そしてアリストテレスをも批判し続けていた。

興味深い例は、20世紀、バートランド・ラッセルによる批判である。ラッセルは彼の著書「西洋哲学史」(History of Western Philosophy)の中で、次のように述べている。………「トマスが信仰から出発する限り、彼の哲学の結論はあらかじめわかっている。とすれば、そこには厳密な意味で哲学と呼ぶに値するものは何も無い」。
このラッセルに対して、当然、「ネオ・トミズム(新トマス主義)」の哲学者たちからの周到な反論はある。それについては「別質問への回答」に記述する予定でいる。
「興味深い例」と僕が記した理由は、「スコラ盛期」に与って力となった、もう一人の主知主義者・アベラールに対してラッセルが理解を示していることにある。論理実証主義者として、彼は、同じ主知主義者への親近感を抱いたのかもしれない。だが、ピエール・アベラールは、聖トマスと同様に信心深く、それを知らない人は一人もいない。エロイーズとの往復書簡に溢れる純粋さと強い信仰は、多くの史家たちに霊感を与えている。例えば新トミストのエチエンヌ・ジルソンがその一人である。


ところで、今日に到るまで、「ヴァチカン」は、聖トマス・アキナスの教説に一度の批判も加えていない。
●1879年、ローマ教皇レオ13世(在任期間 1878-1903)は回勅「Aeterni Patris(エテルニ・パトリス)」を出し、聖トマス教説を賞賛した。
●次の教皇、聖ピウス10世(在任期間1903-1914)は自ら公認した「24命題」に、聖トマス・アキナス教説の全ての公認を含ませた。

[参考]
回勅(Encyclical)とは、教皇が全世界の司教に宛てて送る文書のこと。


*スコラ学盛期以降、今日の状況については、別質問に対する回答で記述します。


  • 編集日時:2012/3/20 18:15:25
  • 回答日時:2012/3/19 02:45:46


 (7) アンリ・ベルクソンの、一つのプロフィル

アンリ・ベルクソンについて、次のように語られた話が残っています。評論家ジャンヌ・ユスタッシュの人物評です。
………「異教徒の許で、ベルクソンはカトリック教会の外部から、主イエスへの道を準備しつつ、自身はそれと気付かずに≪洗者・聖ヨハネ≫の使命を継続していた」。

優れた哲学者で詩人のシャルル・ペギー、同じくネオ・トミズム(新トマス・アキナス主義)の偉業を哲学会に残したジャック・マリタン、哲学者、教育家として著名なライサ・マリタン(ジャックの妻)たちです。彼等の多くは、当時、ソルボンヌの閉塞した風潮………、例えば、唯物史観に基く科学万能主義、等々………、に絶望して、コレージュ・ド・フランスで講座を持つベルクソンの教室に集まってきました。また、マリタン夫人のエッセイを読めば、ベルクソンの講義はあまりにも有名で、パリの上流婦人たちも多く出席していたとのことでした。もちろん、社交的会合ではありません。ベルクソンの端的な表現、一切の無駄を嫌う哲学的言語は、カルチェ・ラタン(学びの街)を風靡していたとさえ言えるでしょう。

だが、彼の影響を最も強く受けた学究たちは、先記したシャルル・ペギーをはじめとする、「キリスト教実存哲学」の人々でした。例えば、ガブリエル・マルセルは、フランスでのみならず、この世界で実存哲学をその名称どおりに明言した最初の人物でした。このガブリエル・マルセルは、「存在の秘義」のような、哲学的著作ばかりでなく、劇作家としても、フランス文学史上に輝いています。

ところで、冒頭に「………異教徒の許で………」の評言を記したが、その意味は、殆んど国教に近いカトリックのフランスで、彼はユダヤ人としての教えに従っていました。しかし、彼の瞑想生活を通して、晩年の20年は殆んどカトリックの生活でした。彼はナチ・ドイツがフランスを占領してまもなく世を去りました。だが、彼の眼には、やがて迫害を受けていくであろう同胞たち(ユダヤ人)の姿が見えていました。同胞たちの勇気をくじけさせないために、彼はキリスト教の洗礼を受けず、ユダヤ人として死にました。

しかし、彼は次のような遺言状を残していた。
「カトリックの司祭が私の葬儀に来られて、祈りを唱えてくださることを望んでいます。カトリシズムへの私の精神的帰依は、ユダヤの僧たちには勿論、誰にも隠す事のないようにしてください」。

遺言どおりに、カトリックの司祭たち(彼等はベルクソンの友人でもあった)が祈りを唱え、ベルクソンの遺言状は公表された。

この時期、つまり20世紀の初め頃、多くのプロテスタントたちからの改宗者(ポール・クローデル、ジャック・マリタン、フランシス・ジャム等々)のうねりのような波は、今日でも様々に語られている。その中で、ガブリエル・マルセルは、最もベルクソンの影響を受けた人物であるが、彼のカトリック入信は、偉大な文学者・フランソワ・モーリアックとの交際を通してだった。



質問者さん、あなたの希望が「どういう人物ですか?」ということなので、ヨーロッパでは、あまりにも有名なベルクソン教授とその輝かしい交友関係を中心に回答しました。

「ベルクソン哲学」についての詳細、および、その影響に基く「キリスト教実存哲学」については、改めて質問があれば、できるだけ詳しく回答したいと思っています。


  • 編集日時:2012/3/2 17:50:11
  • 回答日時:2012/3/2 17:36:06

 (6) 託身(受肉)の秘義

………エト・インカルナトゥス・エスト(人の子の身体を受け、人となられました)。
通常ミサ曲の第3曲目、「クレド」(唯一の神への信仰)の中に位置する「秘義」を語る言葉である。
「アヴェ・ヴェルム・コルプス K.618」、そして、「レクイエム ニ短調 K.626」とともに、モーツァルト・ウィーン時代の3つの教会音楽として知られる「ハ短調ミサ曲 K.427」は、この「秘義」を五部合唱で歌いはじめ、やがてソプラノ独唱が歌い継ぐ。木管の対応とともに、ソプラノがコロラトゥーラのパッセージへと移行する………。

例えば、「レクイエム」を聴いていてもそうであるが、オペラなどで耳慣れている女性歌手たちは、モーツァルトの宗教曲で、一様に、ひときわ美しい声で僕をひきつけてやまない。

「受肉の秘義」が、このクレドで歌われているが、当然ながら、それは「受胎告知」の事実に繋がる。キリスト教美術に、「受胎告知」をたずねてみよう。
大天使聖ガブリエルは、ザカリヤを訪れた。妻エリザベトと子供のできない不運を嘆いていたザカリヤに、大天使はエリザベトの妊娠を伝えた。身ごもった子は、やがて洗者聖ヨハネとなる。予言にあるように、「主の道を整える」使命を帯びた先駆者となる人物である。(聖ルカによる福音書第一章11~20)

その直後、ガブリエルは処女(おとめ)マリアを訪ねる。いきなりの訪問に驚き、更に、告げられる内容の重さに、一瞬身を硬くするマリアの姿を、フラ・アンジェリコ(1387-1455)は清楚な背景の中に描いている。この「受胎告知」の主題は、「聖母子像」の主題と共に、ルネサンス美術家たちが好んで扱う主題である。一方、べネツィア派に独特の色彩豊かな美術家・ティントレット(1518-1594)は、室内に躍りこむ大天使と、驚く処女(おとめ)、そしてその背景に華やかな小天使たちの舞を描いている。(聖ルカによる福音書第一章26~38)


………めでたし、聖寵みち満てるマリア、主御身と共にまします。御身は女のうちにて祝せられ、御胎内の御子イエズスも祝せられたもう。天主の御母・聖マリア、罪びとなる我らのために、今も臨終のときも祈りたまえ。

「主の祈り」、「栄唱」とともに三つの重要な祈りの一つとされている「聖母への祈り」である。この詞は聖ガブリエルの祝詞と聖エリザベトの言葉を合わせた祈りとなっている。シューベルトの「アヴェ・マリア」も人々から愛されているが、これは「湖上の美女」という、もともと存在した詩にシューベルトが作曲したものである。天使祝詞の言葉「・・・・・・Ave Maria gratia plena(めでたし、マリア、聖寵みち満てるもの)」・・・・・・、をそのまま作曲したグノーの作品も愛されている。


上記「秘義」に盛られた主題は「受肉(託身)」と「三位一体」に他ならない。
「秘義」。フランス語でmystère、英語でmystery。カトリックのお国柄を反映するフランスでは、この語は、殆んど教義上に関して用いられることが多い。それに比べると英語では、宗教的語義を伴わない語用が増える。それでも、キリスト教の伝統で培われた国として、宗教的語用の場合、それから外れる解釈をされるケースは滅多にない。日本の場合、多くの輸入言語があり、それだけに、例えば「神秘」という語用に、今度は逆に、キリスト教的な語義が解釈されるケースが稀となる。つまり、普遍的な「謎」としての意味を人々は汲み取ってしまう。そこでカトリック教会は、この「神秘」のラテン語を「秘義」と和訳した。それでも、今日、教会関係者は秘義と神秘の両方を用いる事が多い。


そこで、使徒聖ヨハネによる福音書を、その冒頭から始まる、「秘義」を内在させた言葉を読んでみたい。

「初めにみことばあり、みことばは神とともにあり、みことばは神なりき」。

「カトリック教会のカテキズム(Catechismus Catholicae Ecclesiae)」は、みことばが人となることについて、・・・・・・・・・。
・・・・・・・・・私達が神の愛を知るため。
・・・・・・・・・私達の聖性の模範となるため。
であることを教えている。

福音史家・聖ヨハネは「みことばの永遠性」の主張に基いて記述しているが、三位一体の第二位格をロゴス(言葉)として、その位格(ペルソナ)が受肉を通して人性を受けたこと、そして、その受肉は処女(おとめ)マリアによって託身されたことが盛られている。こうした全ては、人間の理性では理解できないものであり、啓示と信仰という相対関係の中で、初めて人々が理解し得ることとされている。


  • 編集日時:2012/2/25 19:57:25
  • 回答日時:2012/2/24 18:43:23

 (5) 「キリスト教における赦し」 とは

十二使徒の一人、聖マタイが書いた福音書の三つの章(5,6,7章)に、有名な「山上の説教」(キリストによる)の場面があります。少し短かくまとめた記述としては、聖ルカが書いた福音書の第六章の中にあります。

キリスト教における「赦し」とは、「人間の罪に対する神の赦し」のことです。
神の一人子・キリストが、十字架に磔にされた、・・・・・・人間の罪を救うための贖い、と言われている。だから、神から赦される人間は、同じように、他の人を赦さなければならない。

最初の「山上の説教」に戻ります。「幸いなるかな、心の貧しき人、天国はその人のものなり」。昔は「山上の垂訓」と記してあった。文語体で始まるキリストの説教を、今日では易しい口語体で記してある。「○○をしなさい」、「○○をしてはならない」、が続いた後、最後に、「祈り」について偽善者のようであってはならないと忠告している。

「・・・・・・・偽善者たちは、人に見てもらおうと、会堂や大通りの角に立って祈りたがる。・・・・・・・・・・・・・・。こういう彼らは、すでに報いを得ている。だから、あなたが祈る時は、自分の部屋で戸を閉めて、父なる神に祈りなさい。そうすれば、隠れたあなたを見ておられる父が、必ず報いて下さる」。

その上で、キリストは、祈りの有り方と言葉を提示している。その中の一節、「・・・・・・・。我らが人を赦す如く、我らの罪を赦したまえ」。これは、祈りの中でも、「聖母マリアへの祈り」「栄唱」とともに、最も重要な一つ「主の祈り」の中にある言葉です。
キリスト教における「赦し」の基本的な意味は、ここにあると言えるでしょう。私たち人間は、敵をも赦さなければならない。・・・・もちろん、キリスト教徒がこの教えをどこまで実行できるか、かなり困難なことではあるが、しかし、「赦し」の意味はこれが全てです。

ゴルゴダの丘で十字架に磔にされたとき、キリストは、死刑執行人たちのために、次のような祈りを唱えた。「父よ、彼らをお赦し下さい。彼らは、自分が何をしているのか、知らないのです」。
キリストは、死刑執行人に対して、赦すとは言っていない。父なる神に、祈っただけである。

秘蹟(Sacramentum)。これによって、眼に見えない恩恵と内的聖化が霊魂に与えられる、とイエス・キリストによって制定された、神からの内的祝福を表す外的しるしであるが、これ以上の神学的な意義は省略します。秘蹟は全部で七つあり、「洗礼」「堅信」「聖体」「赦し」「病者の塗油」「叙階」「婚姻」ですが、そのうちの一つ、「赦し」の秘蹟は神の代理人として、司祭が信者に与えます。その場合、「告解室」の中で司祭は普通名詞としての司祭職になりきり、個人としての表出は消失します。カトリック信徒は、告解の後で、神の赦しを、司祭職を通して得る事になります。


何かの映画で、「強い情熱を持った宗教家」が、彼の適切でない言説に従わなかった人物に、「あなたのことを赦します」という場面を観たことを思い出します。プロテスタントの中でも新しい派だということでしたが、僕はプロテスタントについては、よくわかりませんので、プロテスタントについて明確な断定は避けたいと思います。
「赦し」について、僕は、カトリックもプロテスタントも、それほどの違いはないと想像します。プロテスタントにはカトリックのような「秘蹟」の概念は無いでしょうが、「神の赦し」の意味は同じだと思います。
そしてそれ以上に、質問者が呈示した情景は、一般の人たちにも当てはめにくい例ではないでしょうか。

この質問の例にあった心理的な問題は、その取り上げかたと、掘り下げかたによって、哲学的なテーマが浮上する可能性はあるでしょう。しかし、キリスト教的な意味ではあり得ない事柄です。仮に、一人のキリスト教徒が質問に例示されたような、そして僕が見た映画のような、傲慢な人物になったとします。そのとき、その限りにおいて、彼はキリスト教的な人間とは言えないでしょう。


  • 編集日時:2012/2/7 10:54:21
  • 回答日時:2012/2/6 18:43:21

 (4) 音楽と人間


二つの質問について、お応えします。

1)「音楽について、どのように考えても」それが、妥当であるか、妥当でないかは、通常、議論の対象にはならないと思います。仮に、美学的観点から「妥当性判断」即ち、「真偽判断」が成り立つと考えても、時間をかけて現出する広がりであれば、各論点の収束は困難であり、むしろ、不要ではないかと思います。美学的観点は、皆さんもご存知のように、数学や論理学のような、「真偽判断」には馴染みにくいからです。

2)「音楽と人間」というテーマが中心となった書籍(A,B,C,D)、あるいは、中心ではないが、内容として入っている書籍(E)を紹介しましょう。ただ、僕の蔵書の中では、「現代音楽作家」による著作物の方が、質問者さんが望むテーマを多く盛り込んでいるようです。

A)ウィルヘルム・フルトヴェングラー 「音楽ノート」 (白水社)
B)アルブレヒト・ベッツ 「ハンス・アイスラー ―― 人と音楽」 (晶文社)
C)ピエール・ブーレーズ 「意志と偶然」 (法政大学出版局)
D)武満 徹 「樹の鏡、草原の鏡」 (新潮社)

E)ブルーノ・ワルター 「主題と変奏」 (白水社)


[付言]
A)フルトヴェングラーは、この評論集の中の、最初のテーマ「指揮の諸問題」で、次のようなことを述べている。
「統一感覚の欠如から生じる最悪の結果は、およそ演奏活動における、即興的な要素が抑圧され、制限されることである」。
他に、9つの批評文があるが、いずれも「音楽と人間」にかかわる、今日的問題を提供している。しかし、ドイツでの初版は1956年であることも一つの驚きといえる。

B)ハンス・アイスラーとは、20世紀音楽の巨星・アルノルト・シェーンベルクの高弟の一人。他の二人はアントン・ヴェーヴェルンとアルバン・ベルクであり、その中で、この書物の主人公一人が、他の二人のようなデビューと喝采を獲ち得ることが出来なかった。だが、哲学と文学を専攻する著者によれば、このアイスラーこそが、今世紀最大の作曲家だということになる。その理由の一つとして、音楽の社会的機能への考察があり、それによって、現代音楽における孤立からの解放を意図している、という。

C)この書籍一冊が、ベルギーの音楽学者・セレスタン・ドリエージュとの対話になっている。ジョン・ケージによって、一段と大胆になった、音楽の偶然性に対して、「無差別、無規律な偶然は、美学的立場から、拒否せざるを得ない」・・・・・・。これは、メシアンとの離別以来、P・ブーレーズが貫く古典主義の思想をより明確にすることを示している。

D)この随想集は、数多い短文で構成されている。その中の「能という一語」に興味深い一節がある。武満徹は「能舞台の空間は、無数の視覚的想像力によって満たされるべく構成された無の空間であり、自然の一部ではあるが、自然そのものではない。」と語っている。

E)ブルーノ・ワルターの回想録である。批評文から最も離れた、随想集と言えなくも無い。だが、かえって、交友関係などから生れる事実の中に、人間の問題が散見する。「私は」とワルターは言う。「本来のウィーン社交界からは遠ざかってきた。しかし、音楽に心酔したウィーン大市民の、サロンの一つとして、ヴィトゲンシュタイン邸のことは思い出さないわけにはいかない」。
館の主、カール・ヴィトゲンシュタインが、美術、音楽、文学など、広範囲に及ぶ芸術の愛好家であることに、多くの賛辞を記している。文中、ルトヴィヒというカールの弟が出てくるが、この人は、異彩の哲学者・ルトヴィヒ・ヴィトゲンシュタインの叔父である。B・ワルターは、この哲学者のすぐ上の兄・パウル・ヴィトゲンシュタインが、片腕を失ったが、並外れた左手だけのピアニストであることを記している。
このピアニストのために作曲された、モーリス・ラヴェルの「ピアノ協奏曲ニ長調(左手のための)」について・・・・・・・・、これは、ラヴェルの「古典主義者としての本領」を見事に顕現した作品と言えよう。



[補足への応え]
不協和音について、あなたの言うとおりです。また、「現代音楽におけるコンセプチュアリズム」については、僕はP・ブーレーズの古典主義者としての態度に共感を覚えています。したがって、ストラヴィンスキー(新古典主義者)は、僕の好きな作曲家の一人です。補足ありがとうございました。


  • 編集日時:2012/1/22 13:01:37
  • 回答日時:2012/1/21 21:59:39

(3) ルートヴィヒ・ ヴィトゲンシュタイン

回答が遅くなってすみません。実は三日ほど、所用で旅行していました。昨日(24日)帰宅して、質問を頂いていたことをはじめて知りました。お答えします。

すでにお二方が適切な回答をなさっていらっしゃるので、僕は、まったく異なったアプローチから答えたいと思います。

ヴィトゲンシュタインが哲学について語っている言葉は、実に数多いです。
「哲学とは言語によって我々の知性が呪縛されていることに対する、戦いである。」
「言語はさまざまな道の迷路である。一方の側から来ると勝手がわかるが、他方の側から同じ場所に来ると、勝手がわからなくなる。」
「哲学の、全ての雲塊が言語論の一滴へと凝縮する。」
「哲学におけるあなたの目的はなにか。―ハエにハエとり壺からの出口を示してやること。」

例えば上の四つのセンテンスを概観しただけでも、やや漠然としてはいるが、ある統一的な見解、もしくは感想を抱く事は可能でしょう。つまり、哲学とは基本的に「言語批判」であるという事です。

ところで、ヴィトゲンシュタインの業績を、約十年のブランクを挟んだ前・後期に分ける観かたが、一般的となっています。この分け方は、彼の二つの大著に基いています。「論理哲学論考」と「哲学探究」です。ところで、この哲学者に最も傾倒している黒崎宏教授は、この書名を日本語として理解しやすい訳として、次のように記しています。「論理的、哲学的論考」と「哲学的探究」。たしかに、このタイトルのほうが理解しやすいと思います。そして、先記の4センテンスは、いずれも『探究』からの抜粋です。

『論考』で、ヴィトゲンシュタインは「人は、語り得ぬものについては、沈黙しなければならない。」と述べています。「語り得るもの」とは、「事態」のことに他ならず、この「事態」の記述は命題の一般形式といえるでしょう。
ところで、ウィーン学団など、いわゆる論理実証主義者たちが、彼らの主張の根拠の一つとした『論考』ではあるが、著者のヴィトゲンシュタインは、彼らとは常に一線を画した立場を続けていました。つまり、「語り得ぬもの」を「語り得るもの」から区別し、切り捨てる立場の実証主義者たちとは、異なることを明確にしていました。「語り得るもの」の領域の外側に「語り得ない」領域の確たる存在を認めていたわけです。

ヴィトゲンシュタインの前・後期、に明確な差異を主張する人々に対して、僕は、たとえ「前期の否定的言辞の上に後期が創出された」としても、この両期は確かな繋がりのなかで生まれている、という立場の人々と同じ考えを持っています。したがって、この「語り得ぬ領域」は、「語り得る領域」に比べて、はるかに大きな場を占めることは、ヴィトゲンシュタインの言説のなかに、見出すことは可能でしょう。その場を占めるものを、ヴィトゲンシュタインは「倫理」や「美」と語っています。

彼の優れた後継者たち、例えば、フォン・ウリクト(英語読み、フォン・ライト)やエリザベス・アンスコムたちの、彼らの師につづく業績も著名であるが、直接的な指導は無いが、後期ヴィトゲンシュタインの影響の上に輩出した「オクスフォード学派」あるいは「日常言語派」もまた、現代哲学を担ってきたと言えるだろう。特異な例は、ヴィトゲンシュタインの同僚であった、フランク・ラムゼーに見出す事ができる。この、26歳の若さで夭折した天才は、ヴィトゲンシュタインの「ラッセル批判」に大きな影響を受け、その相互影響は、ラムゼーの内に、大きく場を占めたプラグマティズムにヴィトゲンシュタインの目が向けられたこと、にあったと言えます。

この影響は、彼の後期哲学、その大著『探究』の中に見出す事ができる。言語学は言葉を「シンタックス」と「セマンティックス」で捉えるが、この「統辞論(シンタックス)」、「意味論(セマンティックス)」に加えて、「語用論(プラグマティックス)」の浸透は今日、計り知れないものがある。このプラグマティックスは、文字通り、プラグマティズムと語源を等しくしている。後期哲学、つまり「哲学探究」へのプロセスにおける遺稿には、すでに、『論考』に観られたスコラ学的叙述から、プラグマティズム的叙述への移行がはっきり現れています。

先に、「哲学は言語批判である」と記したが、言語批判とは、言語活動を意味する。たとえば「ハエとり壺」のフレーズが、コミュニケーションに生ずる困難さを表わすように、こうした言語的齟齬のすべてについて、先記した「哲学は何か」が解決を与えることになるわけです。くりかえすが、「ハエとり壺」のフレーズは、こうした哲学的問題、哲学的解決の確かな道標であることをヴィトゲンシュタインは示したと言えるでしょう。


  • 編集日時:2011/11/25 13:00:35
  • 回答日時:2011/11/25 04:42:04

 (2) 小学生が理解できる哲学の言葉

質問者は、「子供たちが先を争って、奪い合いをするケース」を外している。その意図についての哲学的な考察は、興味深い課題を含んでいる。だが、この考察は、興味深ければ深いほど、その探索に莫大な紙面を要するので、ここでは省略したい。
質問者が想定する場面を、今日、普遍的な状況として考えることは可能である。つまり、この普遍性は、Culturiseされた、(栽培された、つまり、文化的)状況を提示している。その状況は、「親の教えに基く」あるいは「幼稚園、小学校での指導に基く」状況、即ち、「社会への適応性」を最善とする教育を、早々と幼児たちに当てはめた、一つの文化的状況と観て差しつかえない。

そこで、上記の問題で、あらゆる状況を包含した回答を探すとすれば、かなりの困難に遭遇するだろう。

哲学者・ルトヴィヒ・ヴィトゲンシュタインは哲学の役割を、次のように述べている。・・・・・・・・・それは、ハエとり壺にはまったハエに、出口を教えてあげることだ。

これは、小学生にも理解できる言葉と言えるだろう。そして、この言葉は、哲学が、長い人類歴史のなかで、曖昧で晦渋な世界の代名詞であるかのように語り継がれてきた虚偽、を覆すに違いない。

  • 回答日時:2011/11/15 00:12:03

(1) 「哲学」の初歩的書籍

数年前、私自身、オクスフォード滞在時期のことですが、やはり、イギリスに
滞在していた、アメリカ、アトランタ市出身の友人がいました。彼女は、絵画の
修復を仕事としていましたが、あるとき、「哲学の初歩的な本を教えて下さい」
と、頼まれました。私の書斎は、哲学書、数学書で溢れていて、それを承知の
上での、彼女の要望でした。ということで、私も亦、彼女の要望に最も適応する
書籍を、思いつくことが出来ませんでした。

そこで、わざわざ、日本に電話して、私の友人の、大学の先生(哲学専攻)
に相談しました。彼は、その場で即答してくれました。


What Does It All Mean?
―――A Short Introduction to Philosophy

Thomas Nagel : Oxford University Press, Inc.

日本語訳書名 「哲学って、どんなこと?」
著者 トマス・ネーゲル
訳者―――岡本祐一郎、若松良樹
出版社――昭和堂



〔内容〕
1 はじめに
2 どうやって私達は何かを知るのだろうか
3 他人の心
4 心-身問題
5 ことばの意味
6 自由意志
7 正しいことと不正なこと
8 正義
9 死
10 人生の意味

本文、140ページ、訳者あとがき、5ページの、小さな書物です。

T・ネーゲル教授は、英米哲学界で、最も注目されている哲学者の
一人です。彼の学位取得は、ハーバード大学ですが、オクスフォードで
も教鞭を執ったことがあります。

先に記した知人の女性から、「非常にわかりやすい書籍で、それで
いながら、ひとりでに考えさせられる事が多く、役に立ちました」という言葉
を受けました。

日本語訳文も的確で理解しやすいですが、原著の英語も、わかりや
すい文脈で記述されており、自分で満足できる理解が得られることと
思います。

  • 編集日時:2011/8/28 02:06:07
  • 回答日時:2011/8/28 01:56:45